AIシフトで結果を出すほど、人心は離れていく。
最近、noteがAIシフトを本格的に進めようとしている様子を眺めながら、ずっと考えていることがあります。
それは、AIによって数字としての結果を出せば出すほど、逆に人々の気持ちが離れていくというジレンマについて。
今日はそんなお話を、このSubstackの記事の中で掘り下げて考えてみたいなと。
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この点、従来のビジネスの場合、そうとうアコギな商売をしていない限り、企業の右肩上がりの成長と、その企業を中心としたコミュニティの団結力は比例するはずでした。
なぜなら、売上やユーザー数といった「数字」は「買う、使う、推す」という一人ひとりの心の動きの合計、つまり「人心の集計値」だったからです。
数字が伸びているということは、それだけ応援してくれるひとが増えているということの証でもあった。
だからこそ経営者は、数字というものさしを信じて、会社の舵取りをすることができたわけですよね。
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ただ、最近思うのは、いまAIによって起きていることは「逆相関」ですらなく、「相関の切断」なのではないかということなんです。
どういうことか。
AIというのは、史上はじめて、誰の心も経由せずに、数字をつくれてしまう装置です。
もちろん、数字の水増し自体は、昔からありました。
SEO対策も、買われたフォロワーも、botの再生回数も。でも、それらはあくまで「例外」であり「不正」でした。
AIが変えてしまったのは、ひとの心を経由しない数字づくりを、不正ではなく「標準」にしてしまったことです。
人間の応援がゼロのまま、堂々と数字と売上だけが積み上がっていく。(人材コストの削減もまさにここに寄与します)
つまり、数字が「人心の集計値」ではなくなってしまったわけですよね。
喩えるなら、スピードメーターは正常に動いているように見えるのに、その針がもう、実際の車の速度とは無関係になってしまっているような状態です。
そんな車を、いまみんなで一斉に運転をしている。
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じゃあなぜ、AIシフトをした企業からは、数字だけが伸びて、人心が離れていくのか。
たぶんこれは、母集団が違うんですよね。
数字をつくっている人々と、離れていく人々が別々のひとたちなんです。
検索やAI経由で流れ込んでくる匿名のユーザー(もはや人でない可能性も高い)は、たしかに数字をつくってくれます。
でも彼らは、その場に心を置いていません。必要な情報だけを取って、黙って帰っていくひとたちです。
一方で、離れていくのは、その企業やプラットフォームと「関係」を持っていたひとたち。長年そこで書き続けてきたクリエイターであり、応援してきたコミュニティの人々です。
つまりAIシフトとは、心を置いていないひとを増やしながら、心を置いてくれていたひとたちを遠ざけていく行為でもある。
しかも恐ろしいのは、経営のものさしには、前者しか映らないことです。
後者の離脱は、数字にはなかなか表れてこない。そして、数字に表れたころには、もう完全に手遅れのはずです。
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ただ、ここでひとつ、誤解のないように言っておきたいことがあります。
note自身は、「数字を追うためにAIシフトをしている」とは、まったく考えていないはずなんです。
むしろ、深津さんのオープン社内報のなかでも「PVは麻薬だ」という趣旨のことをはっきり書いていますし、今年発表された戦略骨子には、AIがコンテンツを無限に生み出す時代に、noteは「信頼できる創作」と「人と人の続く関係」が集まる場になる、と掲げられています。
つまり、僕が今日言いたいことの半分くらいは、note自身が、とっくに言っていることなんですよね。
それでも僕がこの「切断」の話を書きたいのは、これが経営者の意図や善意の問題ではなく、ものさしの構造の問題だからです。
どれだけ「人心を大切にする」と宣言してみても、AIが心を経由せずに数字をつくれるようになったその瞬間から、ものさしそのものが、人心を映さなくなっていく。
流入は、AIシフト以前よりも明確に伸びるのでしょう。売上もうなぎ登りに上がる。
でも、流入と人心は、完全に別物です。
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じゃあ、この状況に対して、経営判断としての「答え」はあるのか。
僕は、少なくともそのものさしを採用した内側には、ないと思っています。
で、答えがものさしの内側にないからこそ、AIシフトによって手に入れた莫大なお金か、影響力をばらまくしかなくなるわけです。
このあたりは、政治なんかとまったく一緒です。
これまで人気YouTuberたちがやっていたお金配りと、影響力のあるひと同士のコラボ。あれと同じようなことを、企業もやらざるを得なくなっていく。
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ただ、このばらまきの帰結については、実は3年以上前に、元・ZOZOの前澤友作さんのお金配りについて書いたときに、すでに考えていました。
参照:SNS上のお金配りや、ギブアウェイ文化に違和感がある理由。
お金を配れば配るほど、逆に配る側に資本が集中していく。
そして、お金目当てのテイカー気質のひとばかりが、配る側のもとに集まってくるようになるというように。
で、だからこそ、ばらまけばばらまくほど、勘のいいひとから順に離れていく。
一次的に起きているのは、あくまで「切断」です。数字と人心が、ただ無関係になる。
でも、その切断をうまく隠そうとして、お金と影響力のばらまきをはじめた瞬間に、今度は本物の「逆相関」が生まれてしまう。
配れば配るほど、心あるひとから離れていくという、第二のループが回りはじめる。
切断の上に、逆相関が見事に上書きされていくわけです。
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さらに、この「相関の切断」は、企業の外側だけでなく、内側でも起きるはずです。
いま、AIに詳しい社内の専門家たちが、裏では「魔族」のように呼ばれはじめているという話を、ちらほら耳にするようになりました。
『葬送のフリーレン』に出てくる魔族は、人間とまったく同じ言葉を話すのに、その言葉の裏に人間と同じ心が乗っているのかどうか、外からは決して判別できない存在として描かれています。
そう考えると、この呼び名はかなり言い得て妙だなと。
AIを使って圧倒的な成果を出すひとが、社内から感謝されるのではなく、恐れられ、疎まれていく。なぜそんなことが起きるのかと言えば、これも構造は同じだと思うんですよね。
これまで、会社の中で「成果」が信頼につながっていたのは、その成果の裏に、社員同士の結束力が高まり、心がまとまって来ている感覚を、周囲のみんなが察知していたからです。
でも、AIによる成果には、その裏側が見えません。
心と時間が乗っているのかどうか、外からはもう判別がつかない。
だから、成果を出せば出すほど、「あのひとは一体何をしてくれているんだ…」という不気味さのほうが先に立ってしまう。
成果と敬意をつないでいた回路が、ここでも切断されているわけです。
そしてこれは、IT業界に限った話でもなくて、これからありとあらゆる業界、あらゆる会社において必ず遅かれ早かれ起きることだと思います。
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で、ここまで書いてきて、じゃあ本当の罠は一体どこにあるのか、それが一番の問題だと思います。
僕は、本当の罠は「人心が離れること」そのものではないと思っています。
本当の罠は、人心が離れたことを、数字がもう教えてくれないということのほうです。
昔は、人心が離れれば、売上が明確に落ちた。数字が悪化することではじめて、経営は自分たちの過ちに気づくことができた。
痛みが、ちゃんと警報としても機能していたわけです。
でもこれからは、たとえ人心が離れても、AIが数字をつくり続けてくれてしまう。改善し続けてくれてしまう。
しかも、AIシフトがうまくいけばいくほど、そのものさし自体はますます「正常」に見えるようになります。
数字が改善されてしまうからこそ、人心の離脱は、ますます映らなくなる。この負のスパイラルが加速する。
そして、気づいたときには、数字だけが立派になって、中には誰もいなかった。そんなことが本当に起こり得る恐ろしい時代なのだと思います。
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だとすれば、計器が壊れた時代に頼れるのは、数字にならないもののほうです。
僕は、それが「摩擦」だと思っています。
摩擦については、先日から書いているとおり。
参照:人間は人間が大好きで、人間のことが大嫌い。
摩擦というのは、面倒なものに見えて、実はそこに心を置いているひとがいる証拠でもあるんですよね。
心を置いていないひとは、わざわざ摩擦なんて起こしてくれません。何も言わずに、ただ黙って去っていくだけです。
だから、AI時代の企業にとっての一番の資産は、もしかしたら「まだ文句を言ってくれるひとがいること」なのかもしれない。
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そして、その摩擦ごと相手を引き受けて、それでも同じ場に居続けられる関係をどうやって共に守っていくのかという話であり、それは先日書いた「谷」の話に、そのままつながっていきます。
参照:山の頂上を目指す正しさから、谷のような偏りが集う調和へ。
AIは、どれだけ賢くなっても、谷の住人にはなれない。
だとすれば、数字をつくる仕事は、もうAIに任せてしまっていい。
その代わりに人間は、数字に映らないもの、つまり摩擦やハレーションなど、そんな人間同士のズレに対して、もっともとっと積極的に目を向けていく必要があるんだろうなあと。
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もし今日の僕の見立てが正しければ、AIシフトが順調な会社から、お金と影響力をドンドンばらまきはじめるはずです。というか、ばらまかざるを得ない。
さもなければ、人心が、離れていくわけですから。
その先どうなってしまうのかは、正直、僕にはわかりません。
また、ここまで読んでくださったみなさんはとっくにお気づきのとおり、僕自身、コミュニティ運営という「ものさしでは測ることができない側」を営んでいる人間です。
だから今日の話は、いくらか割り引いて読んでもらったほうがいい、僕のポジショントークでもありますから。
ただそれでも、僕らは僕らで、こちら側をこれからも淡々と続けていきたいなと思います。
来年も同じようにこの場が続いているという予測可能性の中で、摩擦ごと引き受け合える関係を、時間をかけて丁寧に積み重ねていくこと。
数字の上昇が何も教えてくれなくなる時代だからこそ、そちら側の希少価値が必然的に上がっていくはずだと、僕は思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
